人 活字種字彫刻師・清水金之助氏



種字彫刻とは、活字合金材や拓植材の軸に直接文字を逆字・原寸で掘り、
種字を作る技術です(その中でも活字合金材に彫ることを地金彫刻と呼びます)。
活版印刷に使用される鉛活字(凸)は母型(凹型)と呼ばれる型から鋳造されますが、
その母型をつくるための型(凸型)となるのが種字で──
《じゆう研究室配布の資料より》


2009年4月19日、友人の誘いで、じゆう研究室の第一回研究会に参加した。
「活字地金彫刻師」というテーマで、彫刻師・清水金之助さんのお話をうかがうとともに、
活字の元となる合金材へ直に文字を彫っていく技を披露していただく内容だった。

ゲストとしていらした岩田母型の高内さんも、貴重な資料を数多く提供されていた。
主催者の女性グラフィックデザイナー3名をはじめ、参加者は20代〜30代が圧倒的に多い。
当日は撮影自由。個人サイトの範囲であれば、写真掲載も問題なしとのこと。

清水さんの生まれは、1922(大正2)年1月10日。現在、86歳。
両親が50歳を過ぎてから授かった子であったためか、幼い頃から体が弱く、華奢で、
小児喘息を患っていたこともあった。学校にはあまり通えなかったという。

しかし、町会の役員を務めていた父親がいつも何らかの書き物をしており、
その様子をそばで見ていた清水さんも、字に触れる機会が自然と多くなった。
同年の子らに交じって習字を出品する際など、常に一番の成績をおさめていたそうだ。



そのような、いろいろの背景があって、
高等小学校を卒業した清水さんは「手に職をつける」道を選ぶことになる。

清水さんの家から50メートルほどの距離に住む近所の人の世話で、
地金彫りの名人といわれる馬場政吉さんの工房へと見学に行ったのが、きっかけだった。
最初、工房に足を踏み入れた清水さんは、彫金師たちの細かな技を目の当たりにして
「不器用な自分には、とても無理だ」と諦め、早々に家へ帰ったのだが、馬場さんは、
「さっきの子はどこに行った」と尋ねたうえで「そういう子ほど一生懸命にやるものだ」
と言って、わざわざ清水さんを連れ戻したのだそうだ。

1936(昭和11)年、馬場さんの元に弟子入りしてから、あしかけ39年間。
戦後は自ら地金彫刻工房を設立、岩田母型での母型彫刻業を経て、再び独立し、
1975(昭和50)年に廃業するまで、清水さんは活字ひとすじに歩む。

「仕事を覚えるのは大変」だったし「涙が出るような」日もあったという。
誰かが手をとって教えてくれるようなことはなく、現場で技を盗み、
少しずつ自分なりの工夫を加えて、その技に修練を重ねていく。

しかし修行の合間には、兄弟子たちとキャッチボールをしたり、隣に書道の先生が
いると知って、週に一度、皆で書道を学ぶ時間をもうけるよう提案したりもした。
当時を語る清水さんの口調は、はっきりしたもので、表情も生き生きとしている。



そして、清水さんが修行のなかで独自に生み出した工夫であり、
その大きな特長でもある技術が、活字合金への直彫りである。
先輩たちが筆入れ(下書き)に手間取っているのを見て
「直接彫れば早い」と思いたって、始めたことらしい。

現役を退いて30年以上経った今も、迷わず字を彫っていく。
自分でも驚いたことに、何千とある字形が、すっかり頭の中に入っているのだそうだ。
むしろ納期に追われて多忙だった時代より、今の方がずっと良い字が彫れるという。

ただし種字に彫刻する字は鏡文字なので、清水さんが記憶している字形も
当然左右逆の字であって、正字を彫れと言われたら困るだろうし、
本人いわく手書きの文字などは下手で、自分では「あまり好きじゃない」のだそうだ。

では、清水さんが思い描く「美しい文字」とはどんなものだろう?
何か基準や手本のようなものがあるのか、不思議に思って尋ねたところ、
そういったものはなく、美しい字は「自分のなかにある」という答えだった。

ただ、同じく岩田母型で木活字の種字を彫っていらした大間善次郎さんの字は、
今も印象に残っており「美しいなあ」「とても自分は追いつけない」とまで思ったらしい。
また、非常に控えめにだけれど「今の字は味がない」ということもおっしゃっていた。



清水さんが彫った字は、ルビに使用する4ポイント(3.5ポ?)から
最大42ポイントまでのサイズ。ごまかしがきかない分、大きなものほど難しい。
彫刻には、自作の小刀3〜4本を使うが、1本で彫れといわれれば彫れるとのこと。

字入れは、外から彫りはじめることもあれば、中から彫ることもあり、
気分次第で刃を入れる。曲線と直線のどちらが難しいということはないが、
漢数字の〇(零)などは最も簡単で、手元を見なくとも数分で彫れる。

実際、何度も見学者に声をかけてくださったし、会話の間も手を止めることはなかった。
とはいえ、それはあくまでも粗彫りの段階だから可能なことで、
仕上げに施す精緻な作業は「半分息を止めるようにして」集中するそうだ。

一見すいすい彫り進むが、近くで手元を観察すると、指先の筋肉が緊張しているのがわかる。
やはり金属を彫るとなると、それなりに力がいるし、手元がぶれてしまったのでは
元も子もないので、活字合金をしっかりと手で固定する必要がある。
しかしルビ用の細い材料など、力を入れすぎると折れてしまうから、加減がむずかしい。
こればっかりは「やった者でないとわからない」ということだった。

ほかにユニークな逸話として、
今では当然のように普及している電話型のマークが、実は清水さんの作で、
後に消防署のマークなども作ってみたが、そちらは一向に広まらなかったとか。
清水さんの引退後も保管していた道具を、どこかから奥様が持ち出してきたので
試しに朝から彫りはじめたら、夕方にはすっかり勘が戻って、自分でも驚いたとか。
作業台に備えつけられた14倍ルーペには、おそらくドイツ製のレンズが使われているとか。

一時は目を悪くしたけれど、白内障の手術をしたあとで、ものがよく見えるようになって
道具も揃っていたから、実演を引き受ける気になった、等の話を聞くことができた。
もちろん文字のバランスや印鑑彫刻と活字彫刻の違いといった、基本的なことも教えられた。

会は始終なごやかな雰囲気で進み、お土産として小さな種字をいただいた。
私の元には「三」の字がやってきた。

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