
時間を節約したい時、私は良くないクセで、
食事・風呂・掃除・洗濯・趣味・仕事の順に時間を削っていく。
無精が出れば、連絡が滞ったり、物忘れが激しくなったりする。
そんな時には、一番に家族を忘れて、次に友人や恋人を忘れて
最期に自分が熱意を傾けていることや仕事や何やを忘れる。
春一番が吹く前の夜、忘れた家族に電話をかけた。
ゆっくりと互いの近況に耳を傾けて身の回りのことを語った。
近くにいた頃なら考えられなかったことだけれど。
そんな会話の中で、というより、何においてもそうなのだけど、
大切なことほど言葉の形になりづらいものだと実感させられる。
けれど、と母は言う。
「そういったことが本当の心にあるんなら、折にふれて表さないかんよ。
うまくやろうとはせんでいいけど、せなよ。でないとオマエは後悔するよ」
目に見える形を持った何かであれ、目に見えぬ形を持たない何かであれ、
言葉に置き換えるとなると、大切なものほど少ない言葉で用が足りてしまう。
「まあ、ひとことで言えば、こんなことなんだけどね」というように。
けれど本当のところを伝えるには、取りこぼしてしまうものがあるから、
ひとつひとつの塊をていねいに解きほぐしていく。
おそらく一時にすべてを投げつけたら、受け手は理解できないだろう。
だから時間をかけて少しずつ少しずつ紡いでいく。
言い換えれば、じれったく、慎重にも臆病にもなる。
未だに形を成すことが、いいことかどうか確信を持てないときがある。
それでも、と思いながら形にすることが大切なことかもしれない。
─ それでは「大切なこと」とは、なんだろう?
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