本 文章読本3冊 ─ 悪文、日本語の作文技術、続考える技術・書く技術



収集癖とか収集狂とは別に、気がつくと(いつの間にか)集まっているものがある。
私の場合は,植物・器・動物をかたどったもの、それから文章読本の類いだ。
だいたい古書店で目当ての本を探す時に、目についたものを拾い買いしている。

『文章讀本』とは、谷崎潤一郎による著書の題名なのだが、
それに続いて多くの人が同様の題名・趣旨の本を出したものだから、
今では通俗的に「文章読本=いわゆる文章の読み方や書き方を示した本」となっている。

書いてあることは大体同じだから、気に入りの本が目的別に2,3冊あれば十分だろう。
ただ、類似書が多いだけに、人によっては書き方や目次に工夫が光るもの、
着眼点がおもしろそうなものもあって「おや?」と思うと、つい手が伸びる。
個人的には、書く技術よりも書く心構えを記した本の方が好きで、読み返す率も高い。
だいたい昭和後期のものが多い。文体が読みやすく、要点が定まっているからだと思う。
いくつか印象に残った本を載せてみる(近いうちに中身の引用も)。どれも著名なものだ。




『新版 悪文』
編著者:岩淵悦太郎(いわぶち・えつたろう)
発行者:鈴木三男吉
発行所:株式会社日本評論社
発行日:昭和36年12月10日第1版第1刷発行
印刷所:株式会社文弘社
製本所:株式会社精光社

『日本語の作文技術』朝日文庫
著者:本田勝一(ほんだ・かついち)
発行者:柴野次郎
発行所:朝日新聞社
発行日:昭和57年1月20日第1刷発行
印刷製本所:凸版印刷株式会社




『考える技術・書く技術』講談社現代新書327
著者:板坂元(いたさか・げん)
発行者:野間省一
発行所:株式会社講談社
発行日:昭和48年8月31日第1刷発行
装幀者:杉浦康平、辻修平
印刷所:豊国オフセット株式会社
製本所:株式会社大進堂

『続 考える技術・書く技術』講談社現代新書485
著者:板坂元(いたさか・げん)
発行者:野間省一
発行所:株式会社講談社
発行日:昭和52年9月20日第1刷発行
装幀者:杉浦康平、鈴木一誌
印刷所:凸版印刷株式会社
製本所:株式会社大進堂

言うは易しで、実践は難しい。
自分の文章さえおぼつかないが、人の文章に口を挟むとなると、なおさらだ。


─ ところで「才能」とは、どういうものだろう?

以前、知人との会話で「今、どんな職業にでもなれるとしたら、何をしたい?」という
話題になったことがある。ある人は「生まれ変われるなら、作家になりたい」と答えた。
「文章が下手だから、書く才能があったらいいと思う」と言うのだった。


けれど、何かの職業に向く才能というのは、つまるところ、どうでもいいことに頓着する性分を指すんじゃないかと思う。文章なら言葉の位置・選び方・点の打ち方、美術なら1本の線の有無や長短・ゆがみなど、ほかの誰かにとっては取るに足らないものごとを追求せずにいられない有り様ではないか。

ある意味やるかやらないか、それだけのことで、嘆いたり羨ましがったりしても、しようがない。だから冒頭の人も本当に作家になりたいなら、生まれ変わりを当てにするより、文に気を配ればいいと思う。「なぜ」とか、そもそも「何か」とか、できるだけ原点に近いところまで、さかのぼるといい。

文章を作り売りする人でも食べものや何やを専門に扱う人でも、誰でも同じことだろうし、すでにその立場にある人は、経験的に知っていることだろう。その奥行きを深め、質を向上させようと思うなら、ある程度の集中した量が必要だ。やみくもにやるよりは意義をもって、義務的にやるよりは好んでやる方が身につきやすいだろう。また技術と心がけは一体のもので、このふたつを切り離すことはできない。

才能と並んで多用される言葉に「センス」があるが、これも突き詰めれば同じことで、インプットとアウトプットにあてた時間や数の違いが現れているのではないかと思う。例えば、かなり幼い時期から対象に触れる機会が多かったおかげで、早くから素地ができていたり、ものの見方に幅があったりするのではないか。才能が「やるかやらないか」の問題だとしたら、センスは取り組む時期が「早いか遅いか」の問題と言い換えられないだろうか。統計的な根拠はないし、例外も多そうだが。

分かりきったことかもしれないけど、
ちょっぴりの才能も、鍛えて、伸ばすことができると思う。

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