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星の村のなみだ壷


にっぽんの西 九州の山奥の村に ひとりの盗人が住みついた

男は長い時間をかけて 己の半身を土にうずめ

ついに天の星を盗み出し 永い永い歳月をも止めてしまった


真暗い宇宙で 燃えて吹き出し 誕まれた

今は静かに冷えきって 幾光年の彼方から やってきたそれは

灰に交わり 鋼の冷たさと 焔の熱と 煙る宇宙の塵とを

ただ一身に閉じ込めて 人の手で温もる


少年の黒い瞳に宿った 星粒のなみだ

いのちの証に たたずむ塊 ひとつの器


(なみだ壷/税抜4,000円)
※商品の購入を希望される方はこちらからご連絡ください

散文 遠くの友人へII 赤い魚



ともだちが赤い魚をおくってくれた。
わたしには、その魚がそらをとんでいるようにみえた。
別のともだちからは白い砂浜がおくられてきた。

赤い魚のお嬢さんへ

わたしはあなたが同い歳だと思っていけど、それは勘違いで
あなたはひとつ歳下なのだ、とほかの人が教えてくれました。
でも、わたしはあなたを尊敬しています。

白い砂浜のお姉さんは、もっと歳が離れた人です。
その人のことも、やっぱり尊敬しています。

思うことばが出てこないわたしにとって
赤い魚や白い砂浜は憧れです。

近ごろはわたしもつっぱるのをやめました(やめる努力の最中です)。
それもこれも、先日おくった写真の扉の向こうにいる人たち、
あなたを含めた人びとのおかげだと思っています。

それで、お礼になるかは分からないけれど、あなたに関係がありそうで
いいなと思える本があったから、別の場所で紹介しました。
山びこ学校』という本です。

(ずいぶん有名らしいので、あなたはとっくに知っているかもしれません)

そしたら、いろんなところに話がとんでいって、
またあなたのもとに戻るようにして、ほかの人から
すてきなことを教えてもらったりもしました。

それからあなたが教えてくれたみたいにして
いくつかの写真を気に入ってくれた人がお便りをくれて
ちょっと背中を押してもらったような気持ちになりました。

狭い世界のようだけど、うれしいです。
魚はじゆうですね。
それでいて意志をもって進んでいると思います。

散文 遠くの友人へ


今日2通の手紙が届いた。その前に1通。
となりの県から、少し離れた島から、故郷の町から。
そのどれにも彼女たちなりの表現が込められていた。

手紙のかわりに。

多くの点は交わることなくこの世界を周りつづけるけれど、
あるとき一瞬の交差のなかで空中に目の覚めるような白い火花を散らし、
あるとき紙に滲んだインクのように時間をかけてゆっくりと定着していく。

人は否が応でも生きるけど、ただ生きるには、生きづらい。
多忙の合間にも道端の草木や花に目を留めるように、ささやかであれ、
魂が安らぎ心をはずませることのできる何かを見つけるものだから。

ことばを借りて、図像を通して、人の思いが結びつく。
そういうことを思い出させてくれる友人へ、ありがとう。

散文 コップ一杯の水/旅の日





コップ一杯の水

鉢植えの株から、若い茎を一本切りとる

まだ外皮をまとっていない
花咲く前の茎

その柔な緑を水に挿し、僅かな光にあておけば
遠く、忘れられた頃に、茎が自ら根を伸ばす

しかしまだ、頼りない茎を土に植えて

この一本は無事に育ってほしいと
都会の端でコップ一杯の水をやる




旅の日

そんなに、世界は広くなくとも良い
そんなに、遠くへ行かなくとも良い

大勢の人の顔を知らなくとも良い

「どこへ行っても空が青いことに変わりはない。
 そのことを知るために、世界中を旅して回る要はない」

唯、そのことを知るために、歩かなければならない人もいる



というわけで、6月21日から4日ほど九州におります。

人 活字種字彫刻師・清水金之助氏



種字彫刻とは、活字合金材や拓植材の軸に直接文字を逆字・原寸で掘り、
種字を作る技術です(その中でも活字合金材に彫ることを地金彫刻と呼びます)。
活版印刷に使用される鉛活字(凸)は母型(凹型)と呼ばれる型から鋳造されますが、
その母型をつくるための型(凸型)となるのが種字で──
《じゆう研究室配布の資料より》


2009年4月19日、友人の誘いで、じゆう研究室の第一回研究会に参加した。
「活字地金彫刻師」というテーマで、彫刻師・清水金之助さんのお話をうかがうとともに、
活字の元となる合金材へ直に文字を彫っていく技を披露していただく内容だった。

ゲストとしていらした岩田母型の高内さんも、貴重な資料を数多く提供されていた。
主催者の女性グラフィックデザイナー3名をはじめ、参加者は20代〜30代が圧倒的に多い。
当日は撮影自由。個人サイトの範囲であれば、写真掲載も問題なしとのこと。

清水さんの生まれは、1922(大正2)年1月10日。現在、86歳。
両親が50歳を過ぎてから授かった子であったためか、幼い頃から体が弱く、華奢で、
小児喘息を患っていたこともあった。学校にはあまり通えなかったという。

しかし、町会の役員を務めていた父親がいつも何らかの書き物をしており、
その様子をそばで見ていた清水さんも、字に触れる機会が自然と多くなった。
同年の子らに交じって習字を出品する際など、常に一番の成績をおさめていたそうだ。



そのような、いろいろの背景があって、
高等小学校を卒業した清水さんは「手に職をつける」道を選ぶことになる。

清水さんの家から50メートルほどの距離に住む近所の人の世話で、
地金彫りの名人といわれる馬場政吉さんの工房へと見学に行ったのが、きっかけだった。
最初、工房に足を踏み入れた清水さんは、彫金師たちの細かな技を目の当たりにして
「不器用な自分には、とても無理だ」と諦め、早々に家へ帰ったのだが、馬場さんは、
「さっきの子はどこに行った」と尋ねたうえで「そういう子ほど一生懸命にやるものだ」
と言って、わざわざ清水さんを連れ戻したのだそうだ。

1936(昭和11)年、馬場さんの元に弟子入りしてから、あしかけ39年間。
戦後は自ら地金彫刻工房を設立、岩田母型での母型彫刻業を経て、再び独立し、
1975(昭和50)年に廃業するまで、清水さんは活字ひとすじに歩む。

「仕事を覚えるのは大変」だったし「涙が出るような」日もあったという。
誰かが手をとって教えてくれるようなことはなく、現場で技を盗み、
少しずつ自分なりの工夫を加えて、その技に修練を重ねていく。

しかし修行の合間には、兄弟子たちとキャッチボールをしたり、隣に書道の先生が
いると知って、週に一度、皆で書道を学ぶ時間をもうけるよう提案したりもした。
当時を語る清水さんの口調は、はっきりしたもので、表情も生き生きとしている。



そして、清水さんが修行のなかで独自に生み出した工夫であり、
その大きな特長でもある技術が、活字合金への直彫りである。
先輩たちが筆入れ(下書き)に手間取っているのを見て
「直接彫れば早い」と思いたって、始めたことらしい。

現役を退いて30年以上経った今も、迷わず字を彫っていく。
自分でも驚いたことに、何千とある字形が、すっかり頭の中に入っているのだそうだ。
むしろ納期に追われて多忙だった時代より、今の方がずっと良い字が彫れるという。

ただし種字に彫刻する字は鏡文字なので、清水さんが記憶している字形も
当然左右逆の字であって、正字を彫れと言われたら困るだろうし、
本人いわく手書きの文字などは下手で、自分では「あまり好きじゃない」のだそうだ。

では、清水さんが思い描く「美しい文字」とはどんなものだろう?
何か基準や手本のようなものがあるのか、不思議に思って尋ねたところ、
そういったものはなく、美しい字は「自分のなかにある」という答えだった。

ただ、同じく岩田母型で木活字の種字を彫っていらした大間善次郎さんの字は、
今も印象に残っており「美しいなあ」「とても自分は追いつけない」とまで思ったらしい。
また、非常に控えめにだけれど「今の字は味がない」ということもおっしゃっていた。



清水さんが彫った字は、ルビに使用する4ポイント(3.5ポ?)から
最大42ポイントまでのサイズ。ごまかしがきかない分、大きなものほど難しい。
彫刻には、自作の小刀3〜4本を使うが、1本で彫れといわれれば彫れるとのこと。

字入れは、外から彫りはじめることもあれば、中から彫ることもあり、
気分次第で刃を入れる。曲線と直線のどちらが難しいということはないが、
漢数字の〇(零)などは最も簡単で、手元を見なくとも数分で彫れる。

実際、何度も見学者に声をかけてくださったし、会話の間も手を止めることはなかった。
とはいえ、それはあくまでも粗彫りの段階だから可能なことで、
仕上げに施す精緻な作業は「半分息を止めるようにして」集中するそうだ。

一見すいすい彫り進むが、近くで手元を観察すると、指先の筋肉が緊張しているのがわかる。
やはり金属を彫るとなると、それなりに力がいるし、手元がぶれてしまったのでは
元も子もないので、活字合金をしっかりと手で固定する必要がある。
しかしルビ用の細い材料など、力を入れすぎると折れてしまうから、加減がむずかしい。
こればっかりは「やった者でないとわからない」ということだった。

ほかにユニークな逸話として、
今では当然のように普及している電話型のマークが、実は清水さんの作で、
後に消防署のマークなども作ってみたが、そちらは一向に広まらなかったとか。
清水さんの引退後も保管していた道具を、どこかから奥様が持ち出してきたので
試しに朝から彫りはじめたら、夕方にはすっかり勘が戻って、自分でも驚いたとか。
作業台に備えつけられた14倍ルーペには、おそらくドイツ製のレンズが使われているとか。

一時は目を悪くしたけれど、白内障の手術をしたあとで、ものがよく見えるようになって
道具も揃っていたから、実演を引き受ける気になった、等の話を聞くことができた。
もちろん文字のバランスや印鑑彫刻と活字彫刻の違いといった、基本的なことも教えられた。

会は始終なごやかな雰囲気で進み、お土産として小さな種字をいただいた。
私の元には「三」の字がやってきた。

会話 母との対話、糸電話



時間を節約したい時、私は良くないクセで、
食事・風呂・掃除・洗濯・趣味・仕事の順に時間を削っていく。
無精が出れば、連絡が滞ったり、物忘れが激しくなったりする。
そんな時には、一番に家族を忘れて、次に友人や恋人を忘れて
最期に自分が熱意を傾けていることや仕事や何やを忘れる。

春一番が吹く前の夜、忘れた家族に電話をかけた。
ゆっくりと互いの近況に耳を傾けて身の回りのことを語った。
近くにいた頃なら考えられなかったことだけれど。

そんな会話の中で、というより、何においてもそうなのだけど、
大切なことほど言葉の形になりづらいものだと実感させられる。

けれど、と母は言う。
「そういったことが本当の心にあるんなら、折にふれて表さないかんよ。
 うまくやろうとはせんでいいけど、せなよ。でないとオマエは後悔するよ」

目に見える形を持った何かであれ、目に見えぬ形を持たない何かであれ、
言葉に置き換えるとなると、大切なものほど少ない言葉で用が足りてしまう。
「まあ、ひとことで言えば、こんなことなんだけどね」というように。

けれど本当のところを伝えるには、取りこぼしてしまうものがあるから、
ひとつひとつの塊をていねいに解きほぐしていく。
おそらく一時にすべてを投げつけたら、受け手は理解できないだろう。
だから時間をかけて少しずつ少しずつ紡いでいく。
言い換えれば、じれったく、慎重にも臆病にもなる。

未だに形を成すことが、いいことかどうか確信を持てないときがある。
それでも、と思いながら形にすることが大切なことかもしれない。
─ それでは「大切なこと」とは、なんだろう?

映像 藝州かやぶき紀行



東京の学習院女子大学で『藝州かやぶき紀行』という映画を観た。
広島の茅葺き職人たちの足跡と現在の姿を追ったドキュメンタリーだ。

広島の茅葺き職人は、藝州屋根屋・藝州流・藝州屋根師・広島サッカなどと呼ばれていたらしい。
映画の中では、この藝州屋根屋の仕事が、関西から九州までの広い地域に及んでいたことが紹介される。
明治後期から昭和30年代頃にかけて、山陽側の屋根屋を中心に、多くの人が出稼ぎに出たのだそうだ。
昭和20年〜30年代には炭鉱が栄え、そこで働く労働者が増えた。彼らの食糧を賄うために畑の働き手が必要となり、農家の数も増え、その屋根を葺くために職人たちは出かけていった、ということだった。

炭坑節発祥の地で、筑豊最大の炭鉱都市である福岡県田川市には、山本作兵衛という画家が残した鉱夫たちの絵がある。辛いことが多かったろうに、この人の淡々とした記録画はどこかユーモアが感じられて、おもしろく、心に残った。
またこの地域の茅葺き屋根は、茅の穂先を下にして重ねていく逆葺き(さかぶき)という手法で作られており、夜に寝転べば家の中でも天上の月が透けて見えるような、薄い屋根だったという。

一方、雪の深い地域は屋根が厚く、場所によってさらに屋根の葺き方が異なっている。
必然的に、家が建つ場所によって、茅葺きに使う道具の形や材質・役割も違ってくる。
各地の屋根屋衆が見せてくれる道具は多種多様で、それらを一体どう使い分けるのか、
とても興味深かった。また、どれも美しい造形をしているので感心した。実物を見たいとも思った。


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「頭に絵を描くようにならな、いけん」
「最初は(茅の束に)手を入れるだけで泣きようもんよ」

監督に向かって、仕事のいちいちを教えてくれるおじさんたちは、いざ仕事を始めると、
話をしている間も休みなく体を動かしつづけて、すっかり目の前のことに集中しているように見えた。
身のこなしは軽く、生き生きとした表情が頼もしい。皺の深い、樹皮のような手は、働く人の手だ。

そんな映像の途中、酔っぱらったおじさんが出てくる場面がある。
日が暮れて辺りも暗くなった頃に、おじさんの帰宅を待っていた監督を捕まえて、
家の前で話し始め、勢いが止まらなくなってしまった。立ったまま何分話したのだろう。

笑い話のようだが、それが本当の気持ちじゃないだろうか、と期待を込めて私は思う。
ちょうど同郷の田舎に住んでいた女の子が、子どもの頃のことを教えてくれた時に「つまらない、
不便なだけのところですよ」と顔をしかめながら、話を止められなかった様子を思い出した。
自慢話も苦労話も、美化する気持ちはないけれど、誰にもしっかりと残っているように思える。
言葉の形を成しづらく、普段は表に現れなくとも、その人の技に体に、知恵や経験として記憶が残る。



東広島市志和堀の藝州流・石井元晴さんによる屋根の葺き替え作業と一連の記録が済んだ後、
若手の職人とその弟子たちの姿が紹介される。古くからの職人は、自分は茅葺きの家に住もうとは
思わないと笑っていたが、弟子たちは自分でも茅葺きの家に住みたいと思うんじゃないだろうか。

広島のものではないけど、鳥取県智頭町で見た茅葺きの家の写真を載せてみる。
あまり遠くならないうちに、生まれ故郷の広島から郷里の福岡までを訪ねて歩こうと思う。
何日あれば足りるだろう。きっと、次から次にいろんなものが見つかる。

同じ教室に座っていた女の子たちも何か見つけただろうか。
もし今見つからなくても、いつか何かを思い出すといいなと思う。

本 文章読本3冊 ─ 悪文、日本語の作文技術、続考える技術・書く技術



収集癖とか収集狂とは別に、気がつくと(いつの間にか)集まっているものがある。
私の場合は,植物・器・動物をかたどったもの、それから文章読本の類いだ。
だいたい古書店で目当ての本を探す時に、目についたものを拾い買いしている。

『文章讀本』とは、谷崎潤一郎による著書の題名なのだが、
それに続いて多くの人が同様の題名・趣旨の本を出したものだから、
今では通俗的に「文章読本=いわゆる文章の読み方や書き方を示した本」となっている。

書いてあることは大体同じだから、気に入りの本が目的別に2,3冊あれば十分だろう。
ただ、類似書が多いだけに、人によっては書き方や目次に工夫が光るもの、
着眼点がおもしろそうなものもあって「おや?」と思うと、つい手が伸びる。
個人的には、書く技術よりも書く心構えを記した本の方が好きで、読み返す率も高い。
だいたい昭和後期のものが多い。文体が読みやすく、要点が定まっているからだと思う。
いくつか印象に残った本を載せてみる(近いうちに中身の引用も)。どれも著名なものだ。




『新版 悪文』
編著者:岩淵悦太郎(いわぶち・えつたろう)
発行者:鈴木三男吉
発行所:株式会社日本評論社
発行日:昭和36年12月10日第1版第1刷発行
印刷所:株式会社文弘社
製本所:株式会社精光社

『日本語の作文技術』朝日文庫
著者:本田勝一(ほんだ・かついち)
発行者:柴野次郎
発行所:朝日新聞社
発行日:昭和57年1月20日第1刷発行
印刷製本所:凸版印刷株式会社




『考える技術・書く技術』講談社現代新書327
著者:板坂元(いたさか・げん)
発行者:野間省一
発行所:株式会社講談社
発行日:昭和48年8月31日第1刷発行
装幀者:杉浦康平、辻修平
印刷所:豊国オフセット株式会社
製本所:株式会社大進堂

『続 考える技術・書く技術』講談社現代新書485
著者:板坂元(いたさか・げん)
発行者:野間省一
発行所:株式会社講談社
発行日:昭和52年9月20日第1刷発行
装幀者:杉浦康平、鈴木一誌
印刷所:凸版印刷株式会社
製本所:株式会社大進堂

言うは易しで、実践は難しい。
自分の文章さえおぼつかないが、人の文章に口を挟むとなると、なおさらだ。


─ ところで「才能」とは、どういうものだろう?

以前、知人との会話で「今、どんな職業にでもなれるとしたら、何をしたい?」という
話題になったことがある。ある人は「生まれ変われるなら、作家になりたい」と答えた。
「文章が下手だから、書く才能があったらいいと思う」と言うのだった。


けれど、何かの職業に向く才能というのは、つまるところ、どうでもいいことに頓着する性分を指すんじゃないかと思う。文章なら言葉の位置・選び方・点の打ち方、美術なら1本の線の有無や長短・ゆがみなど、ほかの誰かにとっては取るに足らないものごとを追求せずにいられない有り様ではないか。

ある意味やるかやらないか、それだけのことで、嘆いたり羨ましがったりしても、しようがない。だから冒頭の人も本当に作家になりたいなら、生まれ変わりを当てにするより、文に気を配ればいいと思う。「なぜ」とか、そもそも「何か」とか、できるだけ原点に近いところまで、さかのぼるといい。

文章を作り売りする人でも食べものや何やを専門に扱う人でも、誰でも同じことだろうし、すでにその立場にある人は、経験的に知っていることだろう。その奥行きを深め、質を向上させようと思うなら、ある程度の集中した量が必要だ。やみくもにやるよりは意義をもって、義務的にやるよりは好んでやる方が身につきやすいだろう。また技術と心がけは一体のもので、このふたつを切り離すことはできない。

才能と並んで多用される言葉に「センス」があるが、これも突き詰めれば同じことで、インプットとアウトプットにあてた時間や数の違いが現れているのではないかと思う。例えば、かなり幼い時期から対象に触れる機会が多かったおかげで、早くから素地ができていたり、ものの見方に幅があったりするのではないか。才能が「やるかやらないか」の問題だとしたら、センスは取り組む時期が「早いか遅いか」の問題と言い換えられないだろうか。統計的な根拠はないし、例外も多そうだが。

分かりきったことかもしれないけど、
ちょっぴりの才能も、鍛えて、伸ばすことができると思う。

植物 サルビアの開花と株分け

サルビア(2/2)

上京して3年か4年を過ぎた頃から、町中にある緑の変化に気付くようになった。
通勤途中の道にある植え込み、家の前の街路樹も、春には淡い萌黄色の芽がふき、
夏には濃い緑の葉が繁ることを見逃さなくなった。

それに気付いた時は、都会の風景に目が慣れたとか、余裕ができたというよりも、
単純に私が歳をとった証拠だろうと思った。

年齢を重ねるにつれて、あわただしい街の喧噪や時好よりも、
ささやかな自然の移り変わりに心を寄せるようになることは、
ごく自然なことのように思える。
わりに多くの人が同じような経験と感想を持っているのではないか、とも思う。

殊更の根拠はないけれど、私の変な持論のひとつに、こんなものがある。
「人は歳をとると、漬物をつくり、植物を育てはじめる(特に女は)」

私の母も近所のおじさんも、ベランダや庭や部屋いっぱいに植物をはびこらせて、
つくりすぎた漬物を配って回る。育てる楽しみを覚えた、そんなところだろう。




例にもれず、私も植物を育てるようになった。
最初は山や田舎の村で、次は街で植物を見るのが楽しみになって、そのうち自分でも植物を育てるようになった。とはいえ植物を買うというのは、それなりに勇気のいることだったから、最初は必要に迫られて、仕事で購入した鉢植えを、仕方なくそのまま家に持ち帰ったのだった。

幸いなことに、花の咲かない丈夫な観葉植物や多肉植物といった品種がほとんどで、
うまく育ったから、その調子でひとつ、ふたつと植物の数が増えていった。


ここから閑話休題で、いくつかの植物を枯らして、いくつかの植物を育てたあと、
2年前の夏に三宿のTHE GLOBEで、写真のサルビアを購入した。



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この店のガーデニングコーナーには、英国のアンティークをはじめとした
趣きのあるガーデニング家具や雑貨用品が置かれているのだが、どうも植物に元気がない。

でもこのサルビアは、ひと目見て気に入ったので、試しに買ってみた。
秋には、薄いピンクの花が咲くという。素焼きの鉢と合わせて千数百円だったと思う。
購入時に添えられていた説明書きに、学名などの詳細は載っていなかった。

サルビアもまた丈夫な多年草で、何百もの種類がある、ハーブの一種だ。
本来なら自らの重みで倒れてしまうほど、背丈が大きくなるのだけど、
私のサルビアは葉の色も薄く、茎も細く、1年目はついに花をつけずに終わった。

そのサルビアが、2009年の年明けとともに開花した。
2年目の秋も変化が見られず、なかば諦めかけていただけに嬉しかった。

頼りなさげな草姿を見るたびに「これは本当にサルビアなのか」
「もともと花なんて咲かない品種なのではないか」と疑ったものだが。
ずいぶんと遅咲きだった。思いがけない吉報が届いたような気分だ。

株分け用に切り落として、数ヶ月前から水挿しにしておいた枝も、順調に根を伸ばしている。

A happy and hopeful new year.


─ ところで「歳をとる」とは、どういうことだろう?
意図せず書いたことだけど、その変化を羅列して眺めるとおもしろい。
植物に関心を持ちだす、食べ物を漬けはじめる、話半分に聞きはじめる、とか。
だんだんと進行していく変化ばかりだ。進行というと悪いことみたいだけども。
ある日、突然切り換わるものではないんでしょうね。